近所に「心のこもっていないコンビニ」がある。
そのコンビニには、常に挨拶があふれている。
レジを打ちながら、品出しをしながら、「ました~」「ませ~」「肉まんいかがすか~」と、目を合わせることすらなく機械的に、店員さんは挨拶を繰り返している。
多分店長の方針なんだろう、その店長は誰よりも声を出している。
「ませ~、ました~」と声を張る彼に私が品物を差し出すと、「はい、ませ~、どうぞ~」と店内を見渡しながら彼はレジを打ってくれる。決して目は合わない。
そして彼が向こうを見ながらポンと投げるレジ袋を受け取ると、彼の「ありがとうございました」ではなく「ませ~」という声を聞きながら、私はやるせない気持ちでお店を後にするのだ。
「元気に挨拶をするのはいいこと」っていうのは、私も間違っているとは思わない。でも、こんな形だけの(そして回数だけ繰り返される)挨拶に、なんの意味があるというんだろう。こんなのただ、むなしくなるだけだ。頼まないとお水もくれない無愛想な定食屋のおじさんの帰り際の「まいど」のほうが、余程私の胸に響く。
そう、心はちゃんと通じるんだ。
セッション中、本当に心からの言葉を伝えていたか、考えてみた。
わざとつく嘘を除いて、全てがちゃんと本心から出たものだったか。私の態度は、振る舞いは、ほんとうにキミだけに向けて出たものだったか。
正直、自信が無かった。
先日のとあるセッション、醜く変わっていく彼が可愛くて憎たらしくてどうしようもなくなって、私のお尻の下に転がした彼の首筋に無意識に手が伸びた。
「ねえ、このまま殺しちゃうかも」
速い彼の脈を感じる指先に力を込めながら、自然にそんな言葉が出た。無意識だけど、心の底から出た言葉だった。
私の本気が伝わったのだろう、彼の目の色は一気に変わり、脈は私の手の中でより速く狂ったように打ち、身体がじっとりと重く湿りそして震えるのを感じた。
「おゆるしください」
という彼の言葉も本心から出たものだった。死の恐怖の淵で。
心は伝わるということを、私は知っている。
そして心がちゃんと伝わると、どれだけ気持ちのいいものかということも。
だったら、毎回気持ちいいほうがいい。そうじゃないと損だ。
・・・なんてことを、さっき例のコンビニで思ったのです。
行きたくないから行かないんだけど、どうしてもコーヒーが飲みたかったんだもん。やっぱり気分が悪くなったけど、反面教師としてはなかなか良い店なのかもしれません。
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